土橋泰子著「ビルマ万華鏡」というビルマの真の姿を伝えようとする著者の思いを綴った本が発刊されました。
氏の紹介の前にまずは詩をご紹介します。
「煙草の贈り物」
買ったのではありません
自分で葉を摘んできました
葉を乾かすのに
火に焙らず 天日にも干さず
自分の寝床の下に敷きました
いとしい君が吸われる煙草ですもの
この煙草の葉 切りそろえるのに 刃物を使っておりません
私が前歯で念入りに 噛みそろえて巻き上げた
とても甘い煙草です
巻いたタバコを縛るにも
蚕の助けを借りぬよう
絹糸は使っておりません
私が摘んで 紡いだ純白の
木綿の糸一本でしばりました
この煙草 お送りします
インワの都にいらっしゃる
幼いころからお慕いする君のもとへ
この詩の背景を本を引用して概略お伝えしますと
作者はメー・クエという1800年代初期アラマプーラのボードーパヤー王の時代に宮廷詩人として活躍しました。
ここに掲げる「煙草の贈り物」はメエ・クエが幼児からの許婚者で後にその夫となったマウン・クェがインワに行っている時に首都アマラプーラから実際に送った詩といわれ、真情が吐露されています。
ここでいう煙草とはビルマでセポレイといわれるニコチンの少ない大きな葉巻のことで本当の煙草は少しで他に木の葉、トウモロコシの葉など数種類が入ったものです。
吸い口のところは普通赤い絹糸で縛ったものです。
わざわざ絹糸でなく木綿糸を使ったというのは蚕、すなわち生き物を憐れむ心をもっていますと、自分の心やさしさを婉曲に表現しているのです。
また赤糸でなく「純白の糸」と強調しているのは、恋人に対し純白にも似た純愛を抱いている心の中を告げているものです。
以下続きますがこの辺でとどめておきます。
思いを直接表現せずに詩っているのは日本人と共通した心、奥ゆかしさを感じます。
インワもアマラプーラもマンダレーから近く当時の遺跡も残っているところで私も行ったことがあるところですが当時はこの詩の存在を知らなくて「つわものどもの夢のあと」くらいにしか感じていなくて、なんかちょっと惜しいことをしました。
ビルマとミャンマー
この本ではビルマとミャンマーという二つの呼称を用いていますが理解しやすい説明がされていますのでご紹介いたします。
「ミャンマーという国名はあの国が呼んできた正式な国名で、いわば文語体的呼称です。
そして口語体で自国を呼ぶ時はバマーと言っていたのです。
19世紀、英国がミャンマーを植民地にしたとき、その口語体バマーが(バーマ Burma)と発音され、それがヨーロッパ経由で日本につたわって「ビルマ」になったという訳です。
1989年にあの国が国名を変更すると言ったのは、その対外呼称をBurmaからMyanmarにすると言っただけで、国名をそっくり変えたわけではありません。
日本が世界に向かってジャパンと呼ばずに日本と呼んでくださいと言っているようなものです。
それに厳密にいえば、イギリスとかインドとかいう呼称も日本人だけの呼称ですから、日本式にビルマといっても別にかまわないというのが私の立場です。
ミャンマーといえば現政権支持、ビルマといえば現政権非支持という考え方の方もいられるようですが、私の場合、そのような政治的意味はないことをあらかじめお断りしておきます。」
私もビルマとかミャンマーとか両方使いますが政治的意味合いはまったくありません。
古い時代のことはビルマと表現した方が雰囲気が伝えられるかなと思ってはいます。
作者の土橋さんは1950年代、大阪外国語大学ビルマ語学科卒業後ラングーン大学文学部に留学
1960年~1964年 外務省アジア局南西アジア課ビルマ班勤務
1964年~1974年 夫のニューヨーク勤務に伴い在米生活
1975年~1981年 NHK国際放送ビルマ向け番組「やさしい日本語」講師
「ビルマ万華鏡」 有限会社連合出版
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